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SF小説からビジネス書まで、読んだ本の感想が書かれています。
最近マイカー通勤になったので昔比べると、本を読める時間が少なくなりました。

風についての記憶 石原慎太郎 幻冬社文庫

風の使徒たち、風の罠、風についての記憶、の3つ中編小説集である。読み始めて、あれこれは小説ではなくエッセイか?と思うほどの私小説であった。題に全て「風」と言う言葉が使われているが、海の小説である。それもヨット乗りたちの生死を主題にした、重みのある小説である。俺はヨットには乗ったことはないが、スクーバダイビングはやっているし、少しの間だが流されたこともあるので、海=死んでしまうかもしれない、は理解できる。だからといっていつも死を覚悟しているわけではない。実際にダイビングにおいて知人が死んだこともないし。まだ俺にとって、死とはすごく遠いものである。両親も健在だし、身近な友達も死んではいないから。だからこの小説は数十年後読み返す必要があるかもしれない。


 

龍の契り  服部真澄  祥伝社

1961年生まれだから、俺より3つ年上である。たった3歳しか違わないのにこの差は何なんだろう。読みごたえのある小説であった、1000枚のサスペンスであるが、ふつうこれだけの長編だと、中だるみというか、読み疲れというか、途中集中できない箇所があるが、「龍の契り」においてはそれがなかった。イギリスと中国、それにアメリカ、日本、香港を舞台に繰り広げられる国際謀略、主人公の一人としてこの小説の中にとけ込むことに、たいしたページ数はいらなかった。そのままトリップできる小説である。現実には日本はきわめて外交力のない国だが、この小説ぐらいはがんばってもらわなくては。


 
昭和歌謡大全集
昭和歌謡大全集 村上龍 集英社文庫

村上龍である。その昔俺は村上龍の新刊の新聞広告を見れば、書店に直行したものである。それほどのファンであった。きっかけは「コインロッカーベイビーズ」である。以後出版されれば読破したもである。しかしこの「昭和歌謡大全集」あたりから、単行本される数も増え追いつかなくなり、読み忘れてしまったものもでてきた。しかしほんの数年で今回のように文庫本として出会えるのだから、これはこれでよかったのである。本題に入る。まず第一に村上龍ぽくないなと思った。登場人物の名前がすべてカタカナなのはらしいが、何かすごく軽いのである。だからすごく早く読むことができる。それでも第8章のおばさんと、若者たちとの戦争の場面は、思わず引き込まれてしまう。さすがである。章ごとの、タイトルは昭和歌謡大全集であるが、その歌謡曲がストーリーと全く関係のはなぜ何だろう。不思議であった。



ラブ&ポップ
ラブ&ポップ 村上龍 幻冬社

女子高生の援助交際が主題の小説である。援助交際なんかしようなんてこれぽっちも考えたことがないので、援助交際しようとする俺たち大人の男の気持ちは分からない。が、カラオケボックスで一緒に歌っただけで数万円もらえるならば、どんな女子高生でも援助交際するだろう。少なくても俺が女子高生だったら、カラオケボックスには行く。それ以上は解らないが。(笑)主人公である裕美は、12万8千円の指輪を買うために、それも今日中に買わないと意味がないと思い、12万8千円のお金を作るために援助交際をする事を実行する。伝言ダイヤルを使うと、援助交際は簡単にできるらしい。自慢ではないが俺は伝言ダイヤルもテレクラも経験がない。だからそんなものなのかと思う。そんなに女子高生と知り合いになりたいおじさんだちがいるのは不思議である。伝言ダイヤルテープを聴いている場面がすごく長くあり、初め読むのがかったるくなったが、読み終わるとその場面がないと、この小説が成り立たないことが解った。結局裕美は指輪を買うお金は作れなかった。後一歩のところで。そこまでの女子高生の心理描写は見事に描かれている。全ての援助交際をする女子高生が裕美のような心理であるならばまだ救われるが、現実は救いようがない人もいる気がする。何でも手に入る時代であるから、より価値観をシャープにしていなくてはならなであろう。やはり半日で13万弱のお金を手に入れられることは、おかしいと思う価値観がないとね。


愛蘭土紀行I
街道をゆくー愛蘭土紀行I II 司馬遼太郎 朝日文芸文庫 

始めて司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んだ。初めてなのに30、31巻なのは、前読んだ、「考える力」をつける本に紹介されていたため。名前の通りアイルランドの旅行記であるが、1巻の前半はイギリスでの出来事である。イギリスと言うと、「連合王国」と言うようにイングランドとスコットランド、ウェールズそれに北アイルランドの4つから成り立っている。このようになるまでにはいろいろな歴史があるのであろうが、アイルランドとの関係がこの本を読んで良く解った。未だにアイルランド系のテロがイギリスで起きるが、歴史においては、イギリスの方にも問題はある。現在アイルランドは独立国だが、その昔はイギリスの植民地であった。岩だらけの不毛の土地であるアイルランドは、イギリスの存在無くしては経済が成り立たなかったようだが、プロテスタントと、ローマカトリックと宗教も違い、ほとんど奴隷に近かったようである。古今東西いろいろな国家が有るが、極一部の国を除いて、人々は今が一番幸せである。

「考える力」をつける本 轡田隆史 三笠書房

「我思う故に我あり」デカルト有名な言葉である。つまり人間は考えずにはいられない動物なのであろう。が、最近何も考えていない人が多いと良く耳に入る。俺も人のことは言えないので、ちょうどいい本を見つけたと思った。もちろんこの本を読めば直ぐ「考える力」が付くわけではない。この本は、「考える力を」つけると言うより、時間の使い方情報の取り方などいわゆるハウツー本である。そういう意味では少しがっかりしたが、ためになったこととして、「考える」とは、判断の連続だと教えてもらったことである。だから考える力があるかないか、言い換えれば頭が良いか悪いかは関係ないのである。よりよい判断ができるかどうかが問題なわけで、それには情報をたくさん収集して整理しておけばいいのである。

  海峡の光 辻仁成 新潮社

芥川賞受賞作である。辻仁成の小説は、処女作の「ピアニシモ」以来であるが、すごい成長が感じられる。「ピアニシモ」は、これなら俺でも書けるかな?と思ったが「海峡の光」は小説の中にのめり込ませる力がある。何か結末が気に入らないが、全体としては傑作である。さすが芥川賞である。前回の芥川賞候補作である、「母なる凪と父なる時化」も読んでみようと思う。

デジタル日本人 高城剛 講談社

書くべき人が、書いたな。が俺の第一印象です。ちょっと難しいなと思ったことに、「デジタル」をただの符号ではなく、感性や生理、哲学だと言っていること等あるが。基本的に高城剛の意見に賛成である。特にこれからのキーワードは「オタク」では無く「オソト」であることは気に入った。ちょっと前までパソコンが家にあるというだけでオタク等と言われたが、最近のインターネットブームで、それはなくなった。と言うより今は、「パソコン位出来ないと」、と言われている。そんなことはどうでも良いのだが、これからより高性能のノートパソコンが発売されれば、何も部屋の中にいる必要は無く、「オソト」にどんどん出ていける。在宅勤務で、満員電車ともおさらばであるが、何も在宅勤務の必要もなく、温泉でも、ビーチにいても良いのである。モバイルコンピューテングでより日本人の移動が多くなるだろうーの意見も大きくうなずける。これからは、今までの前例に縛られることなく、自由な発想がより一層重要になってくるだろう。今は過度期である。ある意味で一番おもしろい時代かもしれない。

徳川慶喜家の子ども部屋 榊原喜佐子 草思社

著者は、徳川最後の将軍慶喜の孫に当たるそうである。又姉に高松宮妃喜久子さんがいるそうである。つまり戦前は華族であり、日本の超上流階級である。子どもの頃の日記を元にした回想録であるが、結構おもしろく読めた。小石川に3000坪の土地に1000坪の平屋だったそうであるが、これをふつうの家と行ってしまうところがすごい。著者が1歳の時に父親を亡くしているそうだが、その後の収入はどこからあったのかが、書いて無く非常に興味がある。ずっと読んでいて不思議であった。今は日本人のほとんどが中流意識を持っており、その通りであり皆が良いことであるが、生まれ変われるなら、戦前の華族社会に生まれてみたいとも思う。

アジアの激動日本の選択 長谷川慶太郎 日下公人 徳間書店

その昔、日米貿易摩擦が激しい頃、全ての分野で日本がトップになりアメリカの凋落が激しくなると言われていたことがあった。が、日本でいわゆるバブルの崩壊が始まり、現在の日本の経済は思わしくないと言われている。世界はもとより、アジアに於いても日本の存在は無くても良いと言う感じである。俺はこれらの意見に賛成できかねていたが、この本を読んで俺の意見が間違っていなかったと改めて感じた。日本人の勤勉さや手先の器用さ、教育の高さを考えればそう簡単にダメになるとは思えない。アジア各国の成長が日本と言うマーケットや、資本があって始めてできるので、日本パッシング、日本ナッシングなどとどこから出てくるのだろう。又この本は中国にも触れているが、やはり共産党一党独裁の非民主主義の国は、用心しなくてはならない。

ネアンデルタール ジョン・ダーントン ソニーマガジン

スピルバーグが映画化すると言うことでも話題になっている小説である。謎のまま約3万年前に突如に消滅したネアンデルタール人が、実はパミール高原の山深くに現代でも生きていた。と言う設定である。読み物としては、男女の関係、師弟関係、それにロシアの国際謀略と、それなりにおもしろかった。またホモ・サピエンスとネアンデルタールとの関係も考えさせる内容であったが、SFであるから少し納得できない場面が有っても仕方がないのかもしれないが、なぜホモ・サピエンスはここまで進化したのに、ネアンデルタール人は3年前からほとんど進化していないのだろうか?この点が読んでいてずっと不思議であった。まぁシーラカンスも進化してないぞ、と言われればそれまでだが。(笑)このもの語りでは、今日において、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は遭遇しています。が、この主人公たちは最後このことを誰にも公開しないことにした。俺はこのことが不満である。なぜなら、またいつか、違う人たちが遭遇することがあり得るからである。地球上で永遠に遭遇しないことはあり得ないだろう。やはり秘密はいけないよ。

元就、そして女たち 永井路子 中央公論社

1997年のNHK大河ドラマ「毛利元就」の原作である。読んでいくうちにコレが大河ドラマの原作かと、驚きました。細かいところが全然違うのである。まあこの本だけで、シナリオを書いたわけではなく、永井路子のもう一つの毛利元就本である「山霧」と二つが原作となっている。そのほかに脚本家、内館牧子が史料などを参考にシナリオを書いたのであろう。つまり毛利元就といえど、細かいことはわからないのである。解っていることは、戦国の世の最後、信長が天下統一をする前に、中国地方の覇権を獲得したことである。話を小説の方に戻すが、常日頃から歴史小説は、小説にあらずと感じる。この小説も同様で、小説と言うより、毛利元就の史実解説書と言う感じである。

コンピュータデザイン入門 南雲治嘉 日本実業出版社

今流行のコンピュータグラフィックについてである。特にデザイン業界、デザイナーとコンピュータの関わりに述べてある。著者の言いたいことは、一言で言えば「コンピューターが無くてもデザインはできる。」である。当たり前である。ただこの当たり前のことを本にして言わなくてはならないほど、コンピューターの威力はすごいのだろう。コンピュータの使えないデザイナーはいらないと、デザイン事務所の就職説明会で言っているそうである。また、デザインセンスと、全く関わり無いコンピュータの操作で、逆にデザインの質を落としている人がいることにも嘆いている。ただこの本を読んで見ればこれから先よりデザインはコンピュータによりなされるだろう。今は過度期である。コンピューターが、ただの道具にならなければならない。

デジタルコンテンツ革命 三浦文夫 日本経済新聞社

今の俺は、「デジタルコンテンツ」と聞くとMACROMEDIAのDIRECTORと、インターネットのホームページを思い浮かべる。つまりパソコン上で動くコンテンツが、デジタルコンテンツだと思っていたのである。この本にはインターネットの事は乗っていたがDIRECTERの事は、一言も無かった。デジタルコンテンツをすごく広い意味で使っている。厳密に言えばデジタルコンテンツとは、言えないと思われる映画の事も書かれている。デジタルコンテンツ=マルチメディアコンテンツであるかが問題である。日本はソフト開発が苦手な国だと昔から良く言われている。ハードウェアーは、物まね的に優れたものを作るが、独創性が必要なソフトウェアー(コンテンツ)は作れないと。しかしこれからはなおいっそうのことコンテンツが重要になってくるだろう。インターネットにDVD−RAMと、インフラは整備されつつある。だから「デジタルコンテンツ革命」と言う題の本を見たときは直ぐ購入したが、ここに書かれていることは、革命とはほど遠い。副題が「映像・音楽ビジネス最前線」とあるように、テレビ、映画、CDなど既存のメディアに付いて書かれてある。マルチメディアコンテンツ収益構造は、これらを参考にこれから模索していくのであろう。

インターネットはからっぽの洞窟 クリフォード・ストール 草思社

インターネットはからっぽの洞窟のようだと、著者であるクリフォードは言う。つまり中身がないと。が、インターネットの全てを否定しているわけではない。ただ既存のメディアでは、インターネットは万能で不可能なことはないと理解されていることに、危惧している。インターネットは確かにいろいろな事が解り便利であるときもあるが、もちろん解らないこともあり、(特に知りたいことは解らない気がする)俺はクリフォードの意見に賛成である。ただこれはインターネットが最近普及してきたためで、今後は解消されていくと思う。またして行かなくてはならないであろう。この本内容はアメリカのことであり、日本では又少し違う面もある。まず公立図書館がアメリカほど市民に親しまれていない。日本の図書館は、子どもと受験生のためにあるようなものである。だからクリフォードがインターネットで調べるより図書館の方が遥かに便利と言っても、それはアメリカだなと思う。日本ではパソコンの普及率が低いことやキーボードアレルギーなどもあるが、図書館のように通常の公共施設が弱いので、逆にインターネットは普及するかもしれない。

デジタルビジネス レイ・ハモンド 日経BP社

サブタイトルに「インターネットで成功する方法教えます」とある。だからといってこの本を読めば、インターネットで成功出来るほど単純ではもちろん無い。やはりキーワードは、「今まで通りではダメ」であろう。既存のビジネスをそのままインターネットに持ち込んでも、成果は現れずインターネット風にアレンジしなければならないのである。そしてそれは結構難しい事だと俺は思う。今は暗中模索しているが日本でも近い将来デジタルビジネス、ネットビジネスは成功するだろう。この本を読んでいてやはり、日本と欧米はちょっと違うなと感じた。一番の違いは、言葉である。著者はイギリス人であり、当然英語は理解できるのである。するとイギリスのHPはもちろん、アメリカのHPも自由に見ることが出来る。他の国々も英語版は用意してある。やはり国境を自由に越えグローバルなことにインターネットのすごさがあるのだから、英語の出来ない人はハンデが出来る。又この本の原書(英文)インターネットで無料で公開しているそうである。この世界は急速に進歩しているため、より新しい情報を公開するためだそうである。なかなかのアイデアである。ここ(http://www.hammond.co.uk/)をクリックしてください。無料で公開したら、本が売れなくなる心配は必要ないそうである。なぜならこれだけの量をモニターで読むのは辛いだろうし、全てをプリントアウトしていたら、その時間とコストを考えたら本を買う方を選ぶだろうという事です。

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